ぼちぼちダイアリー

とにかくなんか書いてみよう!

バレーボールの素敵な思い出

昨日ドッヂボールについて書いたところ、私と同じように苦手と感じていた人がFacebookにコメントを寄せてくれてうれしかった。共感してもらえるって、すごい力になるね。

人生で初めて出会う球技がドッヂボールっていうのは、確かにスポーツが苦手な子供にとっては不幸なことだと思う。おそらくルールが簡単だから小学校で導入されたんだろうけど。あの群れの中でねらわれる感じは、もう本当に恐怖そのものだった。いじめを助長するから小学校でのドッヂボールをやめるべきだという議論があったそうだけど、私もその考えに賛成だな。

子供が出会う初めての球技、ドッヂボールでなければ何がいいだろう。海外ではサッカーが主流だと聞いたけど、それもいいかもね。相手ゴールにボールを入れるというルールもシンプルだし、みんなで協力できるし、たくさん走れるし。でも広い場所が必要になるから、そこが難点かな。

私は球技全般が苦手だったから、球技については悲しい記憶でいっぱい。バスケみたいな一つのボールを取り合うゲームでは、参加してるふりをしながら、ゲームが早く終わることだけを祈ってた。バレーボールも手が痛くなるから嫌だったな。あと、勝つために、チームメイトが私にボールを回さなくなったりするのも嫌だった。いや~、もう思う出すだけで悲しくなってきたわ!

でも大丈夫。バレーボールにはいい思い出もあるから。それはイギリスに短期の海外留学をしたときのこと。40歳を過ぎて初めての海外留学だった。滞在先は湖水地方のコテージで、1週間ごとのコースに3週間参加した。英語圏以外の国から幅広い世代の人たちが20人くらい集まって、午前中は英語を勉強して、午後はいろんなアクティビティをするというスタイルだった。アクティビティはいろんな種類があって、ダンスとかアフリカンドラム、瞑想とかヨガもあって、好きなものに参加すればよかった。その中にバレーボールもあって、苦手だったけど、せっかくだからと参加してみたのだった。

チームは男女混合で、力の差があまり出ないように組まれたように思う。大人になって、アレクサンダーテクニークで体の使い方も学んだし、少しは苦手を克服したかと期待していたけど、いざ始まってみると、やっぱりダメなものはダメだった。コートに入った瞬間に、自分の体がシューっと委縮したのが分かった。まずボールが来るのが怖かったし、みんなに迷惑をかけるのも怖かった。でも、一生懸命やってみた。

そしたら。チームメイトの一人がね、私がレシーブするたびに"Nice!"とか"good!"とか、必ずポジティブな声をかけてくれたの。失敗したときは、特に何も言わずにいてくれる。ほかのチームのみんなも、ちゃんと私を仲間として見ていてくれている感じで、学校時代のように下手な人にボールを回さないということはなかった。ゲーム中に私に声をかけてくれたのはイタリア人の若い男性で、最初はちょっと怖い人かと思ったけど、実際はとてもやさしい人だった。彼は元気にしているかな。今も時々思い出す。

学校時代の球技も、あんなふうにプレイできたらよかったのにな。でも大人になって、いい体験できたのはとても幸せなことだった。だからバレーボールの思い出は、それで上書きすることにした。つくづく思うけど、誰かに声をかけてもらうって、本当にとても力になることなのだった。

ちなみに、そのときのチームには日本人の若い女性がいて、学生時代にバレー部だったというので、試合の後にレシーブのコツを教えてもらった(もちろん英語で)。そのコツはアレクサンダーテクニークの原理と同じで、頭からしっぽまで背骨を長く使うことが大事なのだった。教わった通りにやってみたら「すごい、ちょっとアドバイスしただけで急速に上達したね!」と驚いていた。

私はバレーボールは苦手だったけど、アフリカンドラムはなかなか上手だったらしく、クラスの後でドラムの先生に「前にドラムやったことある?」と、まじめな顔で質問された。何回かアレクサンダーの仲間に教わったことがあるくらいだったけどね、原理が分かっていたからだと思う。私はスポーツは苦手でも、ドラムみたいなものはわりと呑み込みが早いのだった。

私が行ったイギリスの留学先はこちら。とても素敵なところでした!
http://www.nabcottage.com/jp/

 

今日の夕空。ほんのわずかの間に全体が華やかな茜色に染まる。プレゼントのよう。

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逃げるについて考えた

今日はほぼ1日家の中で過ごした。家事をしたり、封を切らずにためていた郵便物を整理したり。ずっとやらなきゃなーと思っていた事務的な仕事を、今日はひとつ片付けたので、ホッとしている。

やり始めさえすればすぐに終わることを、ギリギリまで手を付けない悪い癖がある。そういう仕事を後回しにして、つい好きなことばかりやってしまう。でも好きなことをやりながらも、無意識に落ち着かないから、集中しきれなかったりもする。わかっちゃいるけど、すぐ逃げる。

自慢することでもないけど、昔から逃げるのは得意。逃げると言えば思い出すのが、ドッヂボール。あれ大嫌いだった。だって、痛いし、怖いし、何一ついいことない。だから小学校の6年間を通して、一度もボールを取ったことがなかった。ボールを取らずに何をしていたかというと、ただひたすら逃げていた。逃げて、逃げて、逃げ回り、最後の一人になって、それでもまだ逃げるから、私のせいで体育の授業が終わらないこともあった。そうでなければ、開始早々にボールを当てられて、外野でゲームが終わるのを傍観していた。そっちの方が多かったかも。誰かにボールをぶつけて内野に復活しようなんて、一度たりとも考えたことがなかった。ボールをぶつけるのも、ぶつけられるのも、どっちも嫌だった。

外野でゲームを傍観しながら、子供心にドッヂボールは人生だと思っていた。外野は死んだ人のいる世界で、内野は生きている人たちのいるところ。強い人は戦って生き残り、弱い人はすぐに死んでしまう。戦場は嫌だなーと、死んだ人の気持ちになって眺めていた。…と、自分で書いてて思うけど、なんて暗い小学生だったんだー!

嫌いなことから逃げるのは、別に悪いことじゃない。むしろ自分の心に正直になって、嫌なことからはどんどん逃げて、好きなことに時間を使ったほうがいい。今はそう思うけど、思春期あたりから、嫌なことから逃げてはいけないと思うようになった私は、我慢をするようになった。そして我慢がかなり得意になった。

その甲斐あって、大人になってから職場で我慢強いとほめられることが多かったけど、それも善し悪しだったと思う。我慢のいちばん怖いところは、慣れてしまうこと。慣れは生きていく上で必要なことでもあるけど、我慢した結果、それに慣れてしまうと、自分が感じている違和感に気づけなくなってしまうから。そうなると、解決しようと立ち向かったり、逃げたりすることすらできなくなってしまう。

「逃げる」と「我慢」以外に、「戦う」という選択肢があることに気がついて、それを選んでいいと思えるようになったのは、かなり最近になってからのこと。この3つのうちのどれを選択をしても、自分なりに考えて意識的に選んだものであるなら、それでいいと思う。さらにこの3つ以外にも、きっと選択肢はあるんだろうな。まだ思いつかないだけで。

大人になった今なら、ドッヂボールも楽しめるだろうか。ゆっくりしたボールを取るぐらいなら、できるかもしれない。でも今プレイしている自分を想像してみたけど、やっぱり好きじゃないな、ドッヂボール。

 

今日の夕空。太陽がすっかり沈んだ後のやさしい色合い。

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久しぶりの映画館

今日からいよいよ6月になった。なんだか実感がわかない。

今日からついに映画館も営業再開されたので、さっそくアップリンク吉祥寺に行ってきた。自分の購入履歴を調べたら、最後に行ったのが3月25日だったから、約2カ月ぶりだ。キャッホー! 今日は劇場再開記念で料金が一律500円だった。

今日観たのは『顔たち、ところどころ』というフランスのアート系ドキュメンタリー映画。87歳の映画監督の女性と、33歳の写真家兼アーティストの男性がコンビを組んでフランス国内を旅しながら、行く先々でアート作品を作り上げていく。2人の作品は、その土地で出会った人々の巨大なポートレート写真を建物の壁などに貼っていくというもの。すると、古ぼけた建物やさびれた風景が瞬く間にアート作品に変身する。ありふれた風景に巨大な「顔」が現れることで起きる化学反応! アートはいつでもどんな場所にも潜んでいて、ちょっと視点を変えることで姿を現すのだった。旅先で出会う、その土地に生きている人たちの姿もよかった。

映画の公式サイトはこちら。
https://www.uplink.co.jp/kaotachi/

映画館はやっぱりいいな。久しぶりに体験して分かったことは、映画館で見るというのは、映画を意外とカラダ全体で見ていたんだということ。大きいスクリーンによる視覚的な面はもちろんのこと、何よりも音響がテレビやパソコンと全く違う。今日観た映画の中で教会の鐘を鳴らすシーンがあるんだけど、その鐘の音がバイブレーションとして全身に伝わってきて、音は耳で聞くだけじゃないんだなと改めて思った。また、まわりの人たちと同じ時間と空間を共有することも、映画鑑賞の楽しみなのだとわかった。同じ目的を持って「そこに集う」ということに、人にとって何か大切なものがあるのだと思う。

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営業再開にあたって、映画館のあちこちにコロナ感染対策が見られた。座る席はひとつおきで、両隣は空席という形になる。そのため、普段はあまり人が座らない最前列も今日は人で埋まっていた。館内のいたるところに消毒用のアルコールが設置され、売店のカウンターは透明フィルムで仕切られている。私は肌が弱いので、映画館の手洗い用洗剤で手を洗ったら手がヒリヒリしてしまった。次からはマイせっけんを忘れないよう気を付けよう。

それにしても、上映中はマスクをつけなくてもいいと思うのだけど…。だって誰ともしゃべらないから飛沫も飛ばないし、両隣に人がいなくて十分距離を取ってあるし、咳やくしゃみが出そうになったら、ハンカチで口をふさげばいいのだし。そもそも映画館は換気の基準が厳しい施設なのだし。それでもマスクが必要な理由があったら、ぜひ教えてほしいです。ちなみに今日は隣の人が不安になるといけないからマスクをつけたままでいたけど。理由がわからないままルールに従うのは苦しいことです。

 

出がけにマンションの前で見上げた曇り空。夏みかんの木かな。虫食いの葉っぱの近くに新芽が出ていた。

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遅く起きた日には

私は早起きが苦手。早起きにあこがれがあって、試してみたこともあるけど、どうにも続かない。確かに早起きをすると気持ちがいい。「早起きは三文の得」というように、早起きができた日は1日が長くて、得をした気持ちになる。でも、夜更かしの習性がやめられず、早起きが続かないのだった。

思えば、子どもの頃から早起きは苦手だった。小学校時代の夏休みは、毎朝6時に起きてラジオ体操に行かなくてはならないのが苦痛だった。世の中では早起きが美徳とされているので、私は早起きができない自分をダメ人間だと思っていた。いえ、今もちょっとそう思っている。

ここ最近もそんな日が続いている。早起きができなかった日に、よく思い出すものがある。それは、子供の頃に大好きだったドイツの児童文学『大どろぼうホッツェンプロッツ』のこと。主人公はカスパーとゼッペルという2人の少年。大好きなおばあさんのコーヒー引きを大どろぼうのホッツェンプロッツに盗まれて、それを取り戻すために2人が冒険をする物語だ。3部作で、続編に『大どろぼうホッツェンプロッツふたたびあらわる』『大どろぼうホッツェンプロッツ三たびあらわる』がある(小粋な題名!)。NHKで人形劇が放送されていて、劇中歌は今もぼんやりと覚えている。

大どろぼうホッツェンプロッツ

そのシリーズの中に、シュロッターベッツ夫人という占い師のおばさんが出てくるんだけど、この人の登場の仕方が子供心に衝撃だった。なぜかというと、この人はものすごい寝坊助なのだった。主人公の少年たちが助けを求めて夫人のもとを訪ねるんだけど、何度も呼び鈴を鳴らしても出てこない。ようやく出てきたと思ったら、昼間だというのに寝間着を着ている。「早く、早く」とせかされても、たしかのんびりとタバコなど吸っていた(私の記憶で書いているので、少し違う部分があるかもしれないけど)。超マイペース、だらしなくて、ミステリアス。小学生がお手本にしてはいけない見本のような大人だった。

でも私はこのシュロッターベッツ夫人がとても好きだった。子供の読み物に、こんなだらしない人物が登場して、しかもそのだらしないところが肯定も否定もされていないことに、私はなんだかホッとした。こういう人がいてもいいんだと、自分が世界に受け入れられたような気持になった。そう思うと、世界は安心で安全になった。

大人になった今も、起きるのが昼近くになったり、着替えるのがめんどくさくてパジャマのままでいたい自分を責めたくなったときに、私もついにシュロッターベッツ夫人みたいな大人になったなあと思う。まあ、そういう人がいてもいいよね、と。そう思いながら、結局ノロノロと着替えるんだけどね。

大どろぼうホッツェンプロッツ、なつかしいな。横浜に住んでいた小学生の頃、1つ上の兄の歯並びがめちゃめちゃで、歯列矯正のために父が兄を新宿の歯医者さんに定期的に連れて行っていた。ホッツェンプロッツは、我慢したごほうびにと、歯医者さんに行くたびに兄が好きな本を1冊ずつ買ってもらっていたものだった。きっと紀伊國屋書店だったんだろうな。兄が読み終わった新しい本を、次に読ませてもらうのがとても楽しみだった。ほかにもドリトル先生などを買ってもらっていたように思う。

明日からいよいよ6月になる。世間では学校も始まるし、私も気持ちを新たに、朝はもう少し早く起きるようにしたいと思う。

 

写真は今日の夕空。雲の流れにどこか劇画チックな迫力がある。f:id:Hikaco:20200531231542j:plain

 

変わりゆくもの

昨日はブログの更新をお休みした。夜、いつもブログを書いている時間にモーレツに眠くなってきて、何もできそうになかったので寝てしまった。眠くなったのは、たぶん食べ過ぎのせい。夕食後に少し物足りないような気がしたので、お餅を焼いて食べてしまった。しかも2つも。反省…。

昨日は家の玄関のドアの取り替え工事があった。我が家は築50年のマンションで、結構あちこちが傷んできている。私の部屋は角部屋なので、冬場はすきま風がヒューヒュー入ってきて、風が強い日は結構寒かった。なので、思い切って玄関ドアを取り替えることにしたのだった。取り付けられた新しいドアを見て、何か足りないな…と思ったら、古いドアにあった牛乳受けがないのだった。牛乳受け! 私は使ったことないけど、昭和45年に建てられたマンションにはそれが標準でついていたということに、あらためて驚いた。

そのうちに新聞受けも玄関ドアからなくなる日が来るのだろうか。私の住むマンションはオートロックではないから、新聞配達の人が中に入ってきて各家の新聞受けに入れてくれるけど、最近のマンションはオートロックだから、もうすでに新聞受けなどないかもしれないな。紙の新聞を読む人も減ってきているだろうし。

私は紙の新聞派で、去年まで通勤電車の中で新聞を読んでいた。ある日、気づくとまわりにそんな人はいなくなっていて、ほとんど絶滅危惧種になっていた。昔は電車で新聞を読むサラリーマンがたくさんいたけど、いつの間にか見なくなったのは、やっぱりスマホが普及してからだと思う。

コロナで通勤電車の風景も変わっていくだろうか。あと10年もしたら、ギューギュー詰めの通勤電車が、テレビなどで昭和・平成の風景として紹介される日が来るんだろうな。バブルの時代の流行が、お笑いのネタになっているように。

初めて携帯電話でしゃべっている人を見たのは、忘れもしない平成元年のことだった。東横線に乗っていたら、ショルダーバッグを持った髪の長いきれいな女の人が、ずっと一人でしゃべっていた。悪いけど頭のおかしい人かな?と思っていたら、手に電話らしきものを持っていたのだった。まだ携帯電話という言葉すらなかったかもしれない。

よく考えたら、あれから30年も経っていた! 全然実感がない。大人になってからの時間は、本当にあっという間。学校に通っている間は、毎年学年が上がったり、入学や卒業があるから節目が感じられるけど、大人にはそういうのがないからな。しいて言えば、元号が変わることで区切りとか変化を感じるかもしれない。

 

写真は今日の夕空。キャンバスに絵筆をポンポンポンと置いて描いたような雲。そういえば高校の芸術の授業は美術選択だった(ほかに音楽と書道があった)。

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見ることは受け取ること

今日はスイスのアレクサンダー教師、ローザ・ルイザとのオンライン・グループミーティングに参加した。私が教わった海外のアレクサンダーの先生はみんな素敵な人ばかりだけど、ローザは特に私が大好きな先生の一人。今日は「見る」ことについての探究だった。

目のことは私が小学生の頃から悩まされてきたテーマ。私が子供だった70年代や80年代は、小学生の近視はまだ珍しい存在だった。小学4年生の時だったと思うけど、身体検査の後に視力が1.0を切っている子だけ集められたら、クラスの中で自分を含め3人くらいしかいなかった。私以外は勉強ができる子たちだったので、なおのこと恥ずかしかったのを覚えている。母には漫画ばかり読んでいるからだと怒られ、当時スターだった王貞治選手を引き合いに出して、「王選手は絶対に暗いところで本を読まないんだって」と指導されたものだった(昭和なエピソードですね)。でも私は母の言いつけをちっとも守らず、暗いところで漫画を読み続け(漫画を禁止されてはいなかったけど、薄暗いところで読むのが楽しかったのだと思う)、視力はどんどん下がっていった。

目が悪いので、よく見ようとし、姿勢が悪くなる。そして首や肩が凝り、頭痛がする。これが私が長年悩まされてきたパターンだった。

今日のローザは、ピーター・グルンワルドのアイボディ・メソッドを参考にしていると前置きしつつ、見ることについてのこんな実験をやってみた。

何かを見るときに「目で見ている」と思わずに、「脳の視覚野で見ている」と思うこと。視覚野があるのは後頭部のてっぺんあたり。目から入ってきた光は、視神経を通って後頭部にある脳の視覚野で情報として処理されている。視覚野を意識するために、後頭部に自分の手を置いて、「ここで受け取っている」と思ってまわりを見てみる。

それと比較する意味合いで、あえて「目で見ている」を交互に試してみると分かりやすかった。私の場合「目で見ている」と思うと、目のまわりや頭、首が途端に緊張して呼吸も浅くなる。この緊張状態は、あの「気を付け!」みたいなもの。何時間も続けられないし、続けたら身体も心もカチンコチンになってしまう。

眼球のまわりを覆っている網膜は光の受容体で、そのうち細部をハッキリとらえるための部分は中心のわずか5%。残りの95%は全体を立体的にとらえる役割を担っているという。ところが、私たちはふだん網膜全体のうちハッキリ見るための5%ばかりを酷使していて、ハッキリ見ることだけが「見ること」だと思い込んでいるのだという。

「目は単なる光の通り道、実際は脳で情報を受け取っている」と思うことで、網膜の残りの95%がいきいきと働き始めるのだった。ローザは「体を変える必要はないんですよ、意識を変えるだけでいいんです」と言っていた。確かに物質としての自分の体は同じでも、「思うだけ」で見え方が変わってくる。目の前のモノを「目で見に行く」と細部がはっきり見えて、「脳で受け取る」と思うと、まわりも見えてきて、それが「そこにある」と思える。そのモノの立体感や、視界の明るさや色の鮮やかさも増してくるのだった。

私はピーターのアイボディに何回か参加しているので、ローザが教えてくれたことは私にとってすでに知っていることではあった。だけど、みんなで一緒やると、そのたびに新鮮な体験ができる。カラダの学びは知識を得て終わりというものではなくて、その都度自分で新しい体験をし続けることなんだなと思う。

他にも面白いことがあったけど、今日はここまで。

 

写真は今日の夕陽。絵に描いたような光線に、祝福という言葉が浮かぶ。
空を眺めるときは、自然と光を受け取るときの目の使い方をしているな。

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ステイ・ホームを過ぎて

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今日はいい天気だったので、買い物がてら街をぶらぶら歩き。最近はもう堂々とマスクを外して歩いている。マスクをしていないとドキドキするけど、それは目立つことが怖いからなのだった。でも、自分で考えて選んだ行動だからと思って、自信を持つことにした(もちろん、自分が必要と思う場所ではつけてますよ)。

散歩の帰りに喫茶店に寄ったら、ほとんど満席だった。先週まではかなりガラガラだったけど、やっぱり緊急事態が解除されたからね。運よく窓際の席が空いていたので、コーヒーを飲みながら、2時間ほど本を読んで過ごした。

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家に帰り、昨日から窓辺に干しておいた切り干し大根の様子をのぞいてみた。1日半ぐらいたって、端の方が完成形に近づいてきている。いい感じ。半乾きのを一口つまんでみたら、なかなかおいしい。セミドライの大根チップスと称して、ヘルシーなおやつにしてもいいかもしれない。こんなものでも自分で作るって楽しい。

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今日は一日中、昨日見た『アラビアのロレンス』についてのいろいろな考えが去来していた。そして私はロレンスについて「カッコいい」と言いたくないんだ、と気がついた。戦争映画はカッコよくてはいけないと思う。

 

ステイ・ホームを過ぎて、街は少しだけにぎわいを取り戻していた。私は空の色や雲の形を観察するという新しい趣味を見つけ、少しだけ自分の考えを言えるようになっていた。

 

写真はいつも空の写真を撮っているマンションの踊り場。燃えるような薔薇色の空を見て、思わず階段を駆けのぼる。頭の中でThe Roseが流れる。
I say love, it is a flower, and you, its only seed.

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