ぼちぼちダイアリー

とにかくなんか書いてみよう!

パワハラ

昨日のニュースで、アップリンクの代表がパワハラで元従業員に訴えられたことが報じられた。アップリンクは私が頻繁に通う映画館で、ニュースになる前日も行ってきたばかり。身近な名前に驚きはしたけど、パワハラは私にとってとても既視感のある光景で、それが自由や多様性を標榜してきたアップリンクの理念とかけ離れたものであることにもさほど驚きはなかった。ただ「ここもか…」と思った。そして、そんな風に思ってしまう自分がちょっと悲しくなった。

私は20代の頃、小さな専門商社に勤めていたことがある。友人が私のことを見込んで、自分が勤める会社に誘ってくれたのだった。喜んで転職したものの、その仕事は私にはまったく向いていなかった。恥ずかしい話だけど、文学部を卒業した私は、商売というものが仕入れ値と売値の差額で成り立っていることも知らなかった。いやそれ常識でしょ、と思われるかもしれないけど、仕事になるまでビジネス的なことに私はまるで接点がなかったから。今の時代だったら、会社側ももう少し慎重に見極めて採用するものだろうけど、私の若さに期待をかけてくれたのだろうし、時代も今より大らかだった。

私はビジネスの素養がないうえ数字に弱くて、請求書の金額などもよく間違えた。受け身な姿勢のうえに、言われたこともちゃんとできない。どんなに控えめに言っても、商社では使えない社員だったと思う。社長は優秀なビジネスマンで、竹を割ったような性格。私がミスをするたび大声で叱り、叱った後はケロッとしていた。けれど次第に叱る行為がエスカレートし、仕事中に1時間以上説教されることもしょっちゅうだった。その対象は私だけではなく、社長と同世代の男性も何かにつけて怒鳴られ、説教されていた。

そんなわけで、小さなオフィスの中はいつもピリピリしていた。私はいつ怒鳴られるかと常に緊張し、その緊張がさらなるミスを誘発した。私は仕事ができない自分を責め、いつも奥歯をギュッとかみしめていた。あるときなど、半年以上笑っていない自分に気がつき愕然とした。

そうして1年半ほど頑張った末、ついに限界が来た。ある日、何かの理由で朝から怒鳴られて、怒りにまかせて会社を飛び出した。そして、それきり仕事に戻らなかった(後日、謝罪と引継ぎはしたけど)。

もっと早くに辞めてもよかったのだろうけど、当時はそうは思えなかった。仕事に自分を合わせるのが当たり前で、合わない自分が不良品なのだと思っていた。社長も根はいい人なのだから。悪いのは迷惑をかけた自分なのだから。嫌なことから逃げては、いつまでたっても成長できないから、と。

当時は90年代の終わりで、まだ「パワハラ」という言葉もなかった。初めてその言葉を聞いたのはいつだろう。あの状況を「ハラスメント」と定義していいんだと知って、目からウロコが落ちるようだった。なによりも、怒鳴られることに対して、嫌だと感じていいんだ、自分が感じていたことは間違いではなかったんだと思えた。

書いてて気づいたけど、当時の私は自分の感じていることに正解とか間違いがあると思っていたのね。でも今の私はこう思う。自分の感じていることは、誰と比較することもできない、自分にとっての真実。感じたことに間違いはない。子供の頃「そんな風に思っちゃいけません」って言われたかもしれないけど、そんなこと絶対にない。もし自分が嫌だと感じたのなら、何よりもその気持ちを大事にしたい。その感情の奥には、もっと前向きな、光り輝く本心があるから。

アップリンクパワハラ訴訟のニュースを見たとき「ここもか…」と思った自分は、パワハラに慣れてしまって、感覚を麻痺させることでやりすごしていたのだと気がついた。だから昨日のニュースには、嫌だと思うことに声をあげる勇気を見た。私も声をあげていこう。新しい時代が始まった。

 

曇り空。一羽の鳥が飛んでいく。

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