ぼちぼちダイアリー

とにかくなんか書いてみよう!

逃げるについて考えた

今日はほぼ1日家の中で過ごした。家事をしたり、封を切らずにためていた郵便物を整理したり。ずっとやらなきゃなーと思っていた事務的な仕事を、今日はひとつ片付けたので、ホッとしている。

やり始めさえすればすぐに終わることを、ギリギリまで手を付けない悪い癖がある。そういう仕事を後回しにして、つい好きなことばかりやってしまう。でも好きなことをやりながらも、無意識に落ち着かないから、集中しきれなかったりもする。わかっちゃいるけど、すぐ逃げる。

自慢することでもないけど、昔から逃げるのは得意。逃げると言えば思い出すのが、ドッヂボール。あれ大嫌いだった。だって、痛いし、怖いし、何一ついいことない。だから小学校の6年間を通して、一度もボールを取ったことがなかった。ボールを取らずに何をしていたかというと、ただひたすら逃げていた。逃げて、逃げて、逃げ回り、最後の一人になって、それでもまだ逃げるから、私のせいで体育の授業が終わらないこともあった。そうでなければ、開始早々にボールを当てられて、外野でゲームが終わるのを傍観していた。そっちの方が多かったかも。誰かにボールをぶつけて内野に復活しようなんて、一度たりとも考えたことがなかった。ボールをぶつけるのも、ぶつけられるのも、どっちも嫌だった。

外野でゲームを傍観しながら、子供心にドッヂボールは人生だと思っていた。外野は死んだ人のいる世界で、内野は生きている人たちのいるところ。強い人は戦って生き残り、弱い人はすぐに死んでしまう。戦場は嫌だなーと、死んだ人の気持ちになって眺めていた。…と、自分で書いてて思うけど、なんて暗い小学生だったんだー!

嫌いなことから逃げるのは、別に悪いことじゃない。むしろ自分の心に正直になって、嫌なことからはどんどん逃げて、好きなことに時間を使ったほうがいい。今はそう思うけど、思春期あたりから、嫌なことから逃げてはいけないと思うようになった私は、我慢をするようになった。そして我慢がかなり得意になった。

その甲斐あって、大人になってから職場で我慢強いとほめられることが多かったけど、それも善し悪しだったと思う。我慢のいちばん怖いところは、慣れてしまうこと。慣れは生きていく上で必要なことでもあるけど、我慢した結果、それに慣れてしまうと、自分が感じている違和感に気づけなくなってしまうから。そうなると、解決しようと立ち向かったり、逃げたりすることすらできなくなってしまう。

「逃げる」と「我慢」以外に、「戦う」という選択肢があることに気がついて、それを選んでいいと思えるようになったのは、かなり最近になってからのこと。この3つのうちのどれを選択をしても、自分なりに考えて意識的に選んだものであるなら、それでいいと思う。さらにこの3つ以外にも、きっと選択肢はあるんだろうな。まだ思いつかないだけで。

大人になった今なら、ドッヂボールも楽しめるだろうか。ゆっくりしたボールを取るぐらいなら、できるかもしれない。でも今プレイしている自分を想像してみたけど、やっぱり好きじゃないな、ドッヂボール。

 

今日の夕空。太陽がすっかり沈んだ後のやさしい色合い。

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