ぼちぼちダイアリー

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『ドクトル・ジバゴ』

今日も雨ふりの一日。午後は家で映画『ドクトル・ジバゴ』を見た。先日NHKのBSでやっていたのを録画しておいたのだった。有名な映画だから、子供の頃からタイトルだけは知っていたけど、ストーリーはまったく知らなかった。映画音楽「ラーラのテーマ」の三拍子で軽やかなメロディから、なんとなく優雅で明るい映画かな…なんて思って見始めたら、とんでもない。戦争やロシア革命に運命を翻弄される人々を描いた、重厚な長編映画だった。

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上映時間は約3時間20分。見終わって、しばし言葉を失う。なんていう…なんていう時代だったんだろう。歴史的な知識として、ロシア革命がどんなものだったか一応知ってはいた。けれど…社会を良くするはずの革命が、やがて単なる虐殺に走ってしまい、正義と平等の名のもとに人々を恐怖に陥れている。芸術や個人の自由が徹底的に否定され、狂気のなかで壊され、殺されていく様に、心の底から恐怖を感じた。これはわずか100年前の出来事なんだよね…。そして、規模は違えど、現代の状況と共通するところがある気がしてくるのだった。

だからこそ、映画の中の「美しいもの」が圧倒的に心に残った。列車の小さな小窓から懸命に見上げた空や、たどり着いた田舎の駅、窓ガラスについた雪の結晶、革命前の豪華な屋敷や調度品、質素な小屋に飾られた花、整えられた台所。そして、女の人の美しさ。

歌うこと、踊ること、詩を書くこと、美しいもの、笑うこと。些細なこと、過剰なこと、一見無駄なことこそが、人生には必要不可欠なのだと思った。不要不急なことこそが。

映画の公開は1965年だから、今から55年前。上映時間の長さからいっても、現代の映画とは時間の流れが全然違う。『ドクトル・ジバゴ』は映画が始まってから数分は延々と音楽が流れて、それからようやく物語が始まるのだった。60年代当時は映画を見るという行為が、今の時代でいうと舞台を見に行く感覚に近かったのかもしれない。そういえば昭和の時代は普通の本でも函に入っていて、本を読むためには函から出すというひと手間が必要だった。子供の頃は、そのひと手間に「これから物語に入っていくんだ」という感じがしてワクワクしたものだった。

ラーラ役の女優さん、瞳がとてもきれいだった。私は音楽を聴くと、いつも色を連想するんだけど、「ラーラのテーマ」は水色で、それがラーラの瞳の色と同じだったのが、ちょっと嬉しかった。

あらためて、昔の映画いいなあ。題名だけは知っている名作映画ってたくさんある。これからはまってしまいそう。

 

今日の夕空。重厚な映画を見た日は、空にも重厚な雲。

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