ぼちぼちダイアリー

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黄色の記憶

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テーブルに黄色い花を飾ってみた。ひと息に初夏の空気に満たされる。黄色を見ると、子供の頃を思い出す。黄色は「おさなごころ」の色でもある。

小学生だったある夏、私は黄色い服を気に入ってよく着ていた。仲良しの友達もたまたまその夏は黄色い服をよく着ていて、一緒に歩いていたら「2人とも黄色がよく似合うわね」と知らないおばさんにほめられたことがあったっけ。

この仲良しのMちゃんにはある特技があって、私が尿意をもよおすと本人が気づくよりも先に「Hikacoちゃん、いまおトイレ行きたいでしょ」と気づくのだった。「なんでわかったの?」と聞くと、「なんとなく」と答える。どうも私がちょっと座りなおしたりするお尻の動きがそのサインのようで、その見立ては百発百中の腕前だった。私にはなぜかトイレをがまんしてしまう癖があるらしかった。

 

トイレをがまんすると言えば、子供の頃に見たドリフのコントを思い出す。
ある人が「忙しい、忙しい」と、てんてこ舞い。そこへもう一人が通りがかって「そんなに忙しいなら、手伝ってあげる」と申し出る。忙しくて困っている人は「じゃあ、私はこっちをやるから、あんたは私の代わりにトイレに行ってきて」という。もう一人は「よし分かった!」とトイレに行こうと歩き出し、「んっ?」と立ち止まって振り返る。ここでお約束の笑いが起こる。

なんでこれがおかしいのかは、子供でもわかる。何度見ても同じところで笑える。でもわが身を振り返ると、私は時々これと同じようなことを、しょっちゅうしてしまうのだった。

 

私はわりと他人の感情や考えを敏感に感じ取ってしまう性質で、たとえば身近な人の後ろ姿を見ただけで、「あの人今日は何かに怒っているな」ということが何となくわかる。世間でバッシングを受けている人に対しても、批判は別として、たたかれる気持ちを自分のことのように想像してしまう。こんなだから性格診断などでも「共感力」の要素が群を抜いて高く出る。共感力は私の長所でもあるらしいけど、諸刃の剣でもあって、他人の感情を受け取りすぎて身動きがとれなくなることもよく起こる。

でも、数年前のあるとき気がついた。これはドリフのコントと同じ構造だ。受け取りすぎて苦しくなっているときの自分は、他人の代わりにトイレに行こうとしているのだ、と。

どんなに共感しても、助けてあげたくても、代わってあげられないことがある。その人の中で起きていることは、その人だけのもの。その人が感じているだろうことは、その人だけのもの。そこは他人のコントロールが及ばない領域であって、本人が自分で対処するほかはない。

このシンプルな事実に気がついたとき、私は本当に楽になった。長いトンネルをやっと通り抜けたような心境だった。

だから、苦しんでいる人を前にして私にできることは、かつての仲良しのMちゃんのように「今おトイレに行きたいんじゃない?」と声をかけてあげること。もし代わりにできる仕事があるのなら、自分ができる範囲で引き受けてあげること。

黄色い花から思い出をたどり、過去と現在がつながった。

 

写真は今日の夕空。風が強いので雲の形がどんどん変わる。風に乗って夕餉の香り。どこかのおうちで天ぷらを揚げている。

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