ぼちぼちダイアリー

とにかくなんか書いてみよう!

文学は役に立たないかもしれないけれど

今日で私の「7日間のブックカバーチャレンジ」が終わった。楽しかったなあ。

なにを7冊に入れようかと大体のイメージをしたんだけど、なかなかしぼりこめなくて。1つ投稿してからじゃないと次の本が決められなかったり。取捨選択する中で、そういえば別にとっておきの本ばかりじゃなくてもいいんだよね、好きなアーティストのアルバムでも、ベストヒットじゃない曲も入っているのがいいんだよねーなどと、あれこれ考えを巡らせるのも楽しかった。

昔、好きな曲をカセットテープにダビングしていた時って、こんな感じだったかも。お気に入りの曲の入ったカセットテープを作って友達と交換したみたいな気分。ふふ、ずいぶんアナログな例えだね。

今回投稿した本の中に、最近読んだ本が1冊しかなかったのも発見だった。私はあるときを境に文学作品をあまり読まなくなって、実用書とか自己啓発書とか、そういう「役に立つ」ものばかり読んでいたから。当時はそれが必要だったからそうなったんだけど、あらためて「好きな本は?」と問われると、やっぱり実用書や自己啓発書じゃないんだよね。子供の頃に読んだ物語や、20代の頃に触れた文学、カルチャー、アート。役には立たないかもしれないけど、好きという感情はそういうものだったと思い出した。

ずっと前、派遣で働いていた頃のことを思い出した。その派遣先は私にはまったく合わなくて、1カ月程度で早々に契約を切られてしまった。クビが決まってから退職するまでの2週間が精神的につらかった。昼休みはオフィスから離れたくて、お弁当を持って一人公園で食べていた。お弁当は10分程度で食べ終わってしまうから、残りの時間は短編小説を読んで過ごすことにした。その小説は読み終わると昼休みが終わるという何ともちょうどいい長さで、毎日1章ずつ読んで、それから午後の仕事に戻って行った。そして、そのことが予想外に私を助けてくれたのだった。たとえ短い時間でも、虚構の物語世界に触れてから現実に戻ると、気持ちが軽くなって前よりも楽でいられる。それは気持ちの立て直しが下手な私にとって、目からウロコの体験だった。

さっき「文学は役に立たないかもしれない」と書いたけど、実際、つらいときに人を助けてくれることもある。それに、そもそも「役に立つ/役に立たない」という定義をすること自体がおかしいんじゃないかな。

SNSではブックカバーチャレンジ以外にも、いろんな種類のバトンが飛び交っていて、多くの人が好きな本や音楽の話を交換している。ほかにも晴れの日には青空や雲の写真を、雨の日は雨のしずくや水たまりの写真なんかを撮って、見せ合いっこしている。忘れていた感覚を思い出したみたい。なんかいいな。

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