ぼちぼちダイアリー

とにかくなんか書いてみよう!

気候変動のお話し会を開催しました

今日はZoomで気候変動のお話し会を開催した。私はずっと環境問題に興味があって、自分にできることはコツコツと続けてきたつもり。そんな中、昨年末に都内で開かれた気候変動のお話し会に参加してみたのだった。

そこでは、豊富なスライドを使って、異常気象がもたらしている世界中の悲惨な現象を見せてもらった。洪水、ハリケーン、山火事、干ばつなどの写真が、次から次へと流れていく。

私がよく目にする異常気象のニュースは先進国のものが多いけれど、洪水、干ばつ、山火事は世界のあちこちで起きている。最高気温が40度、50度なんて、もう想像もつかない。それは遠い国の出来事ではなく、自分の住んでいるこの地球のことなのだ。

今は地球が手遅れになる一歩手前なのだという。臨界点ギリギリのところ。ここを超えると、もう温暖化は止められない。何かしたい。自分一人で出来そうなことは、もう大体やってきた。だから次は一人ではできないことをするタイミングなんだ。そんな思いで、今回お話し会をオーガナイズしたのだった。

後半のシェアリングもとても貴重な時間で、終了の予定時間を30分もオーバーしてしまったけど、まだまだ話せそうだった。シェアリングでは自分が漠然と抱えていた思いを言葉にしてもらったり、新しい発想や情報などを得ることができた。そうなんだ、私はずっと長い間、誰かとこうした問題について話したかったのだ! と気がついた。

では、なぜしてこなかったのだろうか? 

こうした大きな問題は語りづらいものがある。なんとなく、日常生活ではあたりさわりのない話をすることが良しとされていて、思想信条にかかわるようなことを話すと人間関係がギクシャクする…。そんな風に思っていた。

思い出すのは、大学を出て就職したばかりの頃のこと。超・空気が読めない新人だった私は、会社で同じ課の一回り年上の先輩に「この間の選挙に行きましたか? えっ、いかなかったんですか? だめですよ、選挙行かなきゃ。なんで行かないんですか?」みたいなことを言って、すごい嫌な顔をされたことがある。その後、男性上司にフロアの隅に「ちょっとちょっと」みたいな感じで手招きされて、穏やかな声で、こんなふうに諭された。「あのね、社会人のマナーとして、会社では避けるべき話題が3つあるの。それはね、政治と、宗教と、プロ野球

その上司の教えは、会社員として組織を円滑に運営するための知恵なのだろうと思う。私なりに納得したので、会社員生活をする上で、ずっとその教えを守ってきた。それに、選挙に行かない人がいたとしても、そんなふうな言い方は良くないことが、今は分かる。

でも…最初は「思いやり」や「マナー」だったものが、私の中でいつしか過剰な自主規制になって、自分の考えは言わないほうが無難という姿勢になってきた気がする。それに、あの教えは本当の意味で正しかったのだろうか? と、この頃よく思う。思ったことを言わないことと、組織を円滑に保つことは、本当に両立できないのだろうか? そんなの日本特有のことなんじゃない? それに昔はそうだったかもしれないけど、今はもうそういう時代じゃないんじゃない?

地球環境とか世界平和のような大きな問題について、個人ができることは本当に限られていて、すごく無力感を覚えることもある。そういう発言は、発信力とかリーダーシップのある、特別な人がやることだと思っていた節もある。でも…というか、いや、だからこそ、自分のような目立たない人間が声を上げることが、今はとても大切だと思う。平凡な私がオーガナイズする姿を見て、身近な人に「あのくらいなら自分もできそう」「自分もやっていいんだ」と思ってもらえたら、それはすごくいいことだから。

今日は他にもいろんなことを考えたけど、思いついたときにまた書きます。

 

今日は久しぶりの青空。今日は南の空を撮ってみた。シュークリームみたいな雲がポカンポカンと浮いていた。

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