ぼちぼちダイアリー

とにかくなんか書いてみよう!

母と娘のブルース

おとといの記事で、母の料理がやばかったという話を書いたら、「気になる~」というコメントをいただいた。そうか、気になりますか、ふっふっふ…。

なぜか笑いが出てきてしまう。母のやばかった話は、私にとっては「黒歴史」で、当時は「お母さんがまともじゃないコンプレックス」に真剣に悩んでいたものだけど、当人が亡くなった今、こうして振り返ってみると、悲劇と思っていたものは案外喜劇だったりするんだなーと。いや、ブログに書けている時点で、もう私の中で喜劇になっているわけなんだけど。

私は10代後半の反抗期から、母とまともに口を利かなくなった。たぶん20年くらいは冷戦状態が続いていた。10代の頃は、もっとちゃんと面倒をみてほしかったという怒り、大人になってからは、あれだけ放っておいたくせに今更干渉してくるな、という怒りがあったと思う。

母は小学校の教師をしていたんだけど、信じられないくらい仕事が遅くて、学期末になると、帰宅が毎日夜中近くになるのだった。誰もいなくなった職員室で、一人で仕事をしていたのだろう。さらに家に仕事を持ち帰ってテストの採点などをしていた。ウトウトと舟をこぎながら仕事をするので、通信簿にミミズを書くことも多かった。

母は料理はまずいし、掃除も下手だし、貧乏性でモノを捨てないから家はマジでゴミ屋敷だった。友達の家に遊びに行くと、ちゃんと家にお母さんがいて、いつ行っても部屋がきれいに片付いている。それが普通だと思っていた私はコンプレックスの塊だった。お母さんが働いているせいでうちはまともじゃない。私は人並みの暮らしがしたいと、ずっと願っていた。

それが変わったのは、自分が働き始めてから。働きながら子供を育てることがどんなに大変なのかを知ったことが理由のひとつ。あともうひとつは、発達障害の本を読んだこと。それは自分のために読んだ本だったけど、「うちのお母さん、これだ!」と確信をしたのだった。

母のダメなところを発達障害の特徴と結び付けて考えると、いろいろと合点がいった。料理も掃除も悲惨なくらいできないのは、本人の努力が足りないのではなく、何かの理由で、能力が偏っているだけなのだ。例えば、近眼の人に遠くのものがハッキリ見えないからと言って怒るのはナンセンス。必要なのはメガネであって、怒りを向けることではない。この人にはサポートが必要なんだ。今まで苦手なことを頑張ってやろうとしていて、さぞかし大変だったろうな…。そう思えたとき、ようやく母を理解することができたのだった。

あれ? 今日は母のやばいところを面白おかしく書こうと思っていたのに、なんかこういう話になっちゃった。でも、この話、たぶん続きます。今日はこのへんで!

 

今日の昼間の空。地平のところだけ明るくて、遠くの建物が切り絵のように浮かび上がっている。

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